連載企画
LET’S DISCOVER THE SECRET OF A GOOD SMILE!

ー笑顔のヒミツを解き明かそう!ー

 現在までフィギュアメーカーとして手に取りやすく幅広いラインナップで数々のヒットシリーズを生み出し、エンターテインメント業界にて大きな存在感を示してきたグッドスマイルカンパニー(以下グッスマ)。その20年にわたる革新の歴史をスタッフの証言とともに紹介してきた本連載、その最終回は株式会社グッドスマイルカンパニー代表取締役社長の安藝貴範に、グッスマのこれまでとこれからについて前後編にわたって話を聞いた。まず前編ではフィギュアメーカー・グッスマの歴史を紐解いていこう。フィギュアメーカーとしてその存在を確立した黎明期、そこから数々のヒット商品を生み出してきたグッスマを、安藝はどのようなまなざしで見つめてきたのだろうか。

”グッスマ”はチープだからこそいい?
手に取りやすい高品質フィギュアへの追及

 フィギュアをはじめとした多くのエンターテインメント事業にて幅広く活躍を見せるグッスマが設立されたのは2001年の頃。すでに有名な話だが、それ以前はタレント事務所だった。現在も盟友として共にするマックスファクトリー代表・MAX渡辺などのマネジメント活動からスタートしている。そもそも、グッドスマイルカンパニーという社名はどこから生まれたのだろうか。

「ご存知の通りタレント事務所としてスタートして、そこに所属していた子の笑顔が印象的だったんですよ。最初は『ビッグスマイルカンパニー』という案もあったんですけど、その子の背が小さかったので、”ビッグ”じゃなくて”グッド”にしたんですよね。そこから芸能事務所をやりつつ釣具屋などいろいろやって、そのあとにホビーへと突入していきます。そのときこの会社は、何かしらハッピーにするようなサービスを続けていくのが向いているなって思っていたんですよね。どんな業種でも、笑顔を作れる仕事ができているといいよねっていう……ほとんど後づけですけど(笑)、そういう意味で”グッドスマイル”のままでいいのかなと」

 ちなみに現在はファンからは”グッスマ”の愛称で知られているが、これはオフィシャルから出たものなのだろうか?安藝は「おそらく違うと思います」と語る。

「世の中にグッドスマイルカンパニーという名前がなんとなく出始めたのは、自分たちで商品を出してからですよね。そのあとからネット上で誰かが言い始めたんだと思います。そのときの感想はどちらかというと『グッスマかあ……』って(笑)。最初はチープな印象があったんですけど、「でもいいか」と。我々は高価なものを作っているのではないし、チープなものに見えたほうが手に取りやすい。それで実際に手に取ったら高品質、みたいな。その”チープさ”というのは僕らにとって大事なことで、手に取りやすく見えるようにするということはフィギュアを一般的なものにするにあたって重要だと当時から思っていたんです」

フィギュアの製造を分解し、言語化する。
それによってもたらされたフィギュア革命

 さて、グッスマがホビー業界に参画した当時、フィギュアシーンというものはどんな光景だったのか。その頃はというと、1999年から海洋堂が原型を担当したフルタ製菓の「チョコエッグ」が大ヒットを記録していた、いわゆる食玩ブームの時代。グッスマもまた、マックスファクトリーの営業窓口として数々の製菓会社に売り込みをしてヒット商品を生み出していたという。またその一方で、安藝はハイエンドのフィギュア、現在のシーンの中心にあるフィギュア造形にも注目しはじめる。

  • グッドスマイルカンパニー代表取締役社長 安藝 貴範

「当時のマーケットではもともとガレージキットという、彫刻としては精度が高いんだけど未完成、自分で買って塗って仕上げるというものがあったんですよね。ガレージキットのほかにはポリストーン(樹脂に石粉を合成した素材)、それと今のフィギュアのかたちとなるPVC(ポリ塩化ビニル)というものがあったんですよね。で、ガレージキットやポリストーンは高精細なんだけど高価で、しかも壊れやすい。あとは量産するとなると個体差があって顔が決まらないという問題がありました。それを解決しようと、僕たちがほかのメーカーさんたちと一緒になって、フィギュアを一気にPVCに振っていくわけですよ。PVCを高度化するぞと」

 現在ではABSと並んでフィギュアの素材として主流となっているPVC。これをフィギュア製造の中心に据えることにより、グッスマを中心とした現在のフィギュアのムーブメントがスタートする。それにより、フィギュアの製造工程、販売方法というものにも変化が生まれ始めた。

「フィギュアって量産する前に『これが見本ですよ』って、手で作って色を塗ったものを見本として営業用に回すんですけど、当時は、見本と同じものを商品として複製できるという技術がまだマーケットにはなかったんですよね。なんなら見本からどれぐらい劣化するかを議論する、という。そこで僕らが製造の精度を高めることで可能な限り劣化を抑えて、かつマーケットと対話しながら正しい製造数を量産効果によってお届けします、ということを始めたんです。それを何年か続けていくことで、年々精度も上がり、より複雑な彫刻になっていく」

 ”マーケットと対話する”ということにより、商品のクオリティーを高度化していく一方で、そこでどんなフィギュアが求められているのかということが浮き彫りになってくる。それはすなわち、アニメやゲームのキャラクターならそのオリジナルのキャラクターデザインに近い商品ということ。それまでは原型師のセンスやフェティシズムが前面に出た、若干ピーキーなつくりのものが多かった時代でもあった。それに一定の需要がある一方で、原作本来の良さを活かしたフィギュア造形の追求がなされていくこととなる。「そこにマーケットがあると思ったんです」と安藝は語る。

「”もともとの作品に似てるもの”というのが最初は欲しいと思いました。それがいくつか出てくればアレンジを受け入れるようになっていくと思ったし、そこで作家の個性を出していけばいいんじゃないかなと。あとそれまでフィギュアは原型師が色を塗るまでひとりで作るものだったんですけど、それで原型師にディレクターをつけるという概念、漫画家と編集者のような概念が必要だとなったんです。そこで原型師とディレクター、プロデューサーをつけることにしたんです。ビジネスメイキングをする人、マーケットと対話して何が必要か考える企画者、それを彫刻する人、塗る人とひとりでやっていたものを分業にしていく。さらにそれを”言語化”するということを始めたんです」

 フィギュア造形の工程を分業化する、そしてそこに名前をつけて”言語化”する。原型を作る人間を”スカルプター”、それ以降の彩色を手がける人間を”フィニッシャー”と呼び、フィニッシャーが色塗りしたものを”デコレーションマスター”と呼ぶ。こうして仕事を分けて言語化することで、それぞれの作業が明確化され、より高度化していくのだという。

「原型師が色を塗っていると、年に2、3回ぐらいしか色を塗る機会がなくて、あまり彩色は上達しないんですよね。でもフィニッシャーになれば年に2、30体塗ることができる。そうすればそこでチャレンジと反省ができて、切磋琢磨するようになっていくわけですよね。そうやって役割やマーケットの仕組みなどさまざまなところを言葉にして役割をつけていくというのは他の業種ではよくあるパターン。ガレージキットのような職人的なものをあえて分けていったのが大事なポイントだった気がしますね」

 こうしてグッスマにおいて、フィギュア製造において分業化・効率化がなされていったことにより、各セクションが長く深く業務にあたることができるようになり、個々の技術も向上していくという、いわば高度化が実現することになった。それは”フィギュア製造という仕事”がポピュラーになった瞬間でもあった。

「”みんなそれぞれが自分の仕事がある”という状態を作って維持するのが僕の基本思想。フィギュアが好きな人たちにずっと仕事があるという状態がいいんです。そこで人によっては手を動かして高度化していってもいいし、そこから自分の技量をもってディレクションに集中していくのもいい。このマーケットはまだまだ拡張しているので、拡張していくうちは仕事し続けることが大事なんですよ。物事は長く続けないと上手くならないし、それは1年や2年じゃなくて、10年や20年必要なんです。そのためには僕らはマーケットを拡張するんです」

新人スタッフの企画も即採用?
無数のトライアルから生まれるマーケット拡張

過去の連載においてもHarmonia bloomMODEROIDなど、スタッフのバックグラウンドから新ブランドの立ち上げにつながるケースがグッスマには多い。それを聞くと新人スタッフのアイディアがすんなり通る会社……というイメージがあるが、トップである安藝はそのような企画の採用については、「基本的にはザルです(笑)」と語る。

「内部からのトライに関しては、よっぽどじゃないと止めないです。止めることがあるとすると、『最後までやらないな』って思うときぐらい。あとは外部のライセンサーさんから『こういうの作ってくださいよ』って言われたらほぼ受けますね」

本来企画というものは、ひとつのアイディアを元に予算や実現の確度、マーケットとの親和性などを吟味してやっとのことで成立する……そんなイメージがあるが、グッスマにおいてそうしたトライアルは積極的に採用されるのだという。そうした”まずやってみる”という方針は安藝のなかにある「役に立つことってうれしい」という基本理念から生まれているのだそうだ。

「例えば釣具屋をやったときも、『釣具屋一緒にやらない?』って言われて、できると思っていたんですよ。それをやれば喜ぶ人がいる、『じゃあやろうか』って。釣りの餌でオキアミの凍ったやつってあるじゃないですか。よく売れる店だと1日で3トンぐらい売れるんですよね。当時釣具屋を始めたときって、3トンのオキアミを冷凍庫から出して入れたりする、これを一日で延べ1,000回やると現場は倒れちゃうんですよ。それで新しい方法を考えようと思って事前予約制にしたんです。すると予約したお客さんが来たときに合わせて外に出しておくとオキアミは自然解凍される。そしたらお客さんも溶けるのを待たなくてよくなるんですよね。それがめちゃくちゃヒットして、オキアミは事前予約して自然解凍するのが主流になるんですよね」

トライアルに対して真正面から向き合い、そこでの課題を解消してあらたなスキームを生む。釣具屋とフィギュアにおいても安藝のスタンスは変わらない。だからこそ今もスタッフから生まれる新企画やアイディアについては積極的に採用していくのだという。

「僕らの課題とユーザーの課題が同じ方向で解決することは多いんですよね。それが結果として優良なサービスになることが多い。だから企画のほうで考えてくれるアイディアを否定してはいけない。僕らがフィギュアの会社としてできることって、フィギュアを作って売ることだけなんですよ。だからその経験ぐらいは制限せずにやってもらったほうがいい。我々がハッピーでいられるためにはマーケットを広げる必要がある、だから広げるようなチャレンジは止めることはありません。とにかく新企画を多く走らせる」

そうしたトライアルを繰り返し、あらたな商品やシリーズ、それを生み出すスキームなど数々の革新をもたらしたグッスマ。そうした革新に彩られた20年は、歓喜の一方で苦悩もあったのではないだろうか。しかし安藝の口からは「ほとんどないですね」という意外な言葉が出てきた。

  • ワンダーフェスティバル2018[夏] Wonderful Hobby Life For You!! 28 スタッフ一同

「マーケットに向かう作業と、頼まれたことを順番にやっていって事業を拡張する、それと仲間が増えるということにあまり苦労したことがなくてですね。あとは寂しくなかった。みんな構ってくれるんですよ(笑)。構ってくれて助けてくれることが多かったので、ずっと満足度は高かったですよね。だからそんなに苦労した時期はないんです。逆に不景気なときほどオタク産業は本当に強いなというのはすごく体感しています。リーマンショックのときも伸びたし、東日本大震災のときは僕らが支えにならないといけないって思ったし、コロナ禍の現在もそうですよね。今こうしてみんなが何かしらの不安要素を抱えているときは、僕らがより頑張らなくてはいけない。改めて僕らは人の心の支えになるようなお仕事をしているんじゃないかと感じますね」

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